夕食時に至るまでのニュースの見方が解釈や印象に影響するのかな
うちの夕飯時は、だいたいその日、それぞれが得たニュース情報で会話されることが多い。
ネットと無縁のおじいちゃん(父)は、主に朝刊と夕刊とNHKのニュースがソース。
文脈としては7割から8割程度がマスメディアの文脈のまま受け取っていて、残りは「あんな書き方、取り上げ方はないだろう」と突っ込んでいる感じ。
隣人(夫)は朝の国際ニュースと新聞パラパラと夕方にちょっとネットというのが主なソース。長い移動中、1分惜しまず読書するので、携帯でニュースを見ることはない。
文脈としてはやはり7割から8割程度はソースのまま受け取っている様子だが、おじいちゃんとは違うツッコミや視点をしていてことが少なくない。
私は新聞からは札幌や北海道の地元情報を少々入手する程度で、ほとんどがネットから。目に止まったタイトルのものを物色している感じで、全域に渡って見ていませんね。
くだらなそうでツッコミし甲斐のあるニュースを好む傾向があるかな。
私のニュースの受け取り方についてはここ最近変化が起きてきていて、よく「このニュースをどんな人がどんな風に受け取っているか」を気にするようになってきています。これって、twitterの閲覧時間に比例しているようにも感じます。
twitterって、ブログよりも文章が短い分、簡単にたくさんの人の印象や感想、意見を知ることができるようになったからかもしれません。
さらにUstreamなど、限りなく一次情報に近いものと、同時的な多くの人のつぶやき(twitter)を見ると、そのものの情報とは別の観察意識が自分に目覚め始めていると感じます。(ここはまだうまく言えない)
こういうメディアを目にすることが増えると、マスメディアの文脈に見慣れていた自分というものを思い知ります。どう受け取っていいものか、自分ひとりではちょっと不安になって、受け取り方の拠り所を探してしまうんです。それが右横のtwitterにだったり。
まあ、そんなおとな3人が夕飯時に集うと、同じニュースでも受け取り方に差があり、それは知識や性格、主義といったバックグランドに、さらに何経由で知り得たかが影響しているように思うのですが、どうなのでしょうね。
難しく語っている大人たちとは別に、夕飯に同席している長男のズレたアホな発言と次男の的を得たツッコミが時々おもしろくって、子供による時事ニュース番組なんてのがあったらいいかもーと思ったり。しかしこの発想は、イギリスの番組「きみのニュースはなーに?What's Your News?」には叶わないだろうなぁ。