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今朝の妄想から転じて

 今朝のつらつらと考えたエントリー「人を殺すヒト」についての続き。

 隣人(主人)とコメントくださった永田晴紀さまのご指摘「ヒト以外も同じ種同士で殺戮する」は、ごもっとも。大量殺戮するチンパンジーの話も見つけました。もう「妄想です」などと逃げていられなくなってきました。永田さんのご指摘の「野生の生命に対する盲目的な信仰」。。。そうかもしれません。

 先のエントリーで書きました「同じを認識する」というのを種という単位で考えるのは大雑把過ぎましたね。「ヒトはもっと細かい個体認識における「同じ」と「違い」を気にする生き物なのでは?」と言い換えたいと思います。


 で、隣人から「あなたのエントリーに役立つ本あるよ」と取り出されたのが、

 『人間はどこまでチンパンジーか?-人類進化の栄光と翳り-』
 J・ダイアモンド著

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 【帯より】2種のチンパンジー(コモンチンプ、ピグミーチンプ)とたった2%の遺伝子しか異ならないヒトは、いつ、いかにして彼らに別れを告げ、今日の文明へと大躍進を遂げたのか?どこまで動物性を残しているのか?そして、ますます大規模な自然破壊や虐殺をくり返し、核の脅威を終わらせらせないのはなぜか?人類の未来に待ち受けるものを、その自然史に探る。

 私が先のエントリーに書いたのは、
 「ヒトは殺戮する。ヒト以外の生き物は同じ種同士の殺戮を避けるがヒトは避けられない。」(結論:でも違った)

 前のエントリーにいただいた永田さんのコメントを私なりに要約すると、
 「ヒト以外の生き物の方がむしろ殺しあう。ヒトは殺戮を抑制することができる生き物である」と読ませていただきました。

 J・ダイアモンドは、
 「ヒトは殺戮をする。それはチンパンジーのある種にも見られ、その本性は受け継がれた。ヒトも他の生き物も殺戮はする。人は文化的にそれを抑制しなければならない」


 どこまで俯瞰して見るかにもよりますが、これが壮大な話に発展してしまう話題であることは承知。(ブログにしては果敢過ぎた話題であることを少し後悔)

 問題の立て方を整理しつつ、

 ヒトが人を殺す行動と他の生き物のそれとは同じなのか?
 自然史的スケールで言う遺伝として片付けられてしまうものなのか、それとも脳や言語能力の発達に伴ったヒト独自の理由によるものなのか。遺伝だとしても必ず起こす行動ではなく可能性であり、ある環境によって起こす行動のはず。その環境とは何なのか?その環境を変えられるのは教育なのか?ルールなのか?

 永田さんの「人間は、社会のルールにより暴力を管理することに生物として初めて成功しました。」というコメントにあるように抑制できるようになった一方、それをすり抜ける行動も後を絶たないのはなぜか?

 この課題を考えるとき、教育とコミュニケーションがキーワードになることは必須と思います。永久課題としてつらつらと考え続けたいです。

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コメント

こんにちは.
ヒトの残虐さを科学的(自然科学でも人文科学でも)に解明したいのか,それともヒトはどうあるべきなのか倫理的な議論をしたいのか,どちらなのかをはっきりさせた方がよいと思います.この両者の議論は関係ないはずです.
特に「他の生き物は○○だからそれが自然で正しいはず,ヒトもそうあるべき」というのはありがちですが,これって巷で話題のニセ科学と同じ論理ですよね.

koyaさん、コメントありがとうございます。
>>ヒトの残虐さを科学的(自然科学でも人文科学でも)に解明したいのか
こっちの方が私としては発端ですね。でも「科学的」の範疇に悩んでいるのが現状ですね。
>>「他の生き物は○○だからそれが自然で正しいはず,ヒトもそうあるべき」
「サルもそうだからヒトもそうあるべき」とは思っていませんが、「ヒトの行動」を考える時、他の生き物とは切り離して考えたほうがいいのでしょうか?参考にはならない?

『利己的な遺伝子』ぽくはなりたくないとは思っているんですけどね。なっちゃっている?
 koyaさん、ご教授してください。(ごめんね、重たいネタで)


こんにちは。私もあんまり深く考えていないので、お返事になっているかどうか自信がありませんが

>「ヒトの行動」を考える時、他の生き物とは切り離して考えたほうがいいのでしょうか?参考にはならない?

そこはまったく問題ないと思います。

ですが、ヒトの行動について考えるのと、ヒトの行動の規範を考えることは、別のことですよね。前者については、当然生物の一種としての人間について考えなきゃいけないわけで、他の生き物も参考になるでしょう。しかし、後者には、なにがしかの価値観とか判断が入らざるを得ません。

たとえば、
「ヒトは殺戮をする。それはチンパンジーのある種にも見られ、その本性は受け継がれた。ヒトも他の生き物も殺戮はする。」
ここまでは科学的に正しいとしましょう。

でも、
「人は文化的にそれを抑制しなければならない」
この文の内容には同意できるのですが、上の科学的な知見からは論理の飛躍があってつながってません。例えば「殺戮があったからこそ文化が発展した、これからもそうしよう」と言っても、間違ってはいないですよね。

(J・ダイアモンドの本は読んでませんが)

ここを論理的にうまくつなげて整合性があるよう組み立てるのは、それができれば素晴らしいのでしょうが、非常に難しそうな気がします。科学的な知見を自分の都合のいいように利用しようとする非科学的な人が多い世の中ですので、このへんには慎重さが必要だと思います。

koyaさん、整理していただきありがとうございます。
>>ヒトの行動について考えるのと、ヒトの行動の規範を考えることは、別のことですよね。
この「規範」はきちんと別ステージで考えようと。
ただ、ここにも科学者の参加は必要ですよね。

>>科学的な知見を自分の都合のいいように利用しようとする非科学的な人が多い世の中ですので、

この線引きは難しいもんだと、昨年来とても意識するようになりました。嗅ぎ分ける能力つけないとと思ってます。(koyaさんぜひ主婦にもわかる解説本つくってほしいです。もちろん中身以外のことでしたら手伝います)

 Salsa さん、コメントしっぱなしでレスが遅くなりました。新エントリまで書かせてしまい恐縮です。確かに重い話題ですよね。

 僕が前のコメントで書いたのは、「自然界の生物に比べて人間はなんて酷いんだろう」という一般的に流布している観念に対する反論です。僕はどうもこの神話に、「市民」と同じ臭いを感じています。「人間は酷い」、「日本は恥ずべき国」、「今の社会は何の希望も無い」、に感じるのと同じような臭いです。Salsaさんが12/29のエントリで感じておられた胡散臭さと通じるような気もします(誤解ならごめんなさい)。メディアにこの臭いを感じることもあります。あまりうまく表現できないんですが。

 という程度の反論ですので、その程度にお受け取りください。あまり重く受け止められると恐縮してしまいます。

永田さま、コメントありがとうございます。
たまーーに「人間ってなんやろ?ひどい生き物なんじゃないか」という失望感に苛まれる私です。
一方、「あの人すごいなー」とかも思うんです。俯瞰して見すぎるといいところが見え難くなるのかもしれません。これ、今回のエントリーを書いてみて感じたことです。
ふらふら考えるブログですが、今後ともよろしくお願いいたします。

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