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いじめと自殺について考えてみた

 長男君の小学校から「いじめについてのアンケート」というのが先週来まして、親が自分の子にアンケートを読み上げながら質問していくというものでした。

(もう提出してしまったので、文面の詳細はちょっとうろ覚えですが)
 一問目が「あなたはいじめられていると思いますか?」でした。
 で、うちの子の答え、「あーーいじめられてる気がする」だったので、「ほんまに?」と「誰に?」、「どんな風に?」と聞き返すと、
 「うーーーーん、なんとなく」と言うのです。

 これどう思います?

 私には、「いじめられてると言うと、注目される」という下心が見えたのですよ。(一応彼の状況をよく知っている自信はあったので)
 「いじめ」ではなく「いじめられ」がよもや流行ろうとしていないかと心配になりました。これが最悪化すれば「いじめ」の濡れ衣を負わされた子が自殺しかねない。(考えすぎであることを祈りつつ)
 
 まあ、ここからは私が最近思っていることですが、

 最近なって「いじめ」が急に増えたわけではなく、「いじめ」は昔からあり、それはこどもだけではなく大人であっても、そして個人だけでなく組織としても、ヒトの性としてあるものだと思うのです。今になって陰湿化したわけでもないです。

 自殺もそうです。これも最近急に増えたわけではないし、これまた昔からのこと。

 「いじめ→自殺」を今年の顔にしたのはメディアであります。取り上げる回数を増やした理由には立ち入りませんが。そして、メディアによって世論が動き、それに押される形で国が一定のポーズをとるという、ありがちなパターンのようで、来年には忘れられているのではないかと心配するわけです。

 俯瞰すると、結果メディアの教育者いじめになってないか、あまりに国民もヒステリックになってないか、そのことでまたメディアが「新聞売りたさ、視聴率上げたさ」に取り上げてないかと、かなり斜めに見えてしまいます。 (真のジャーナリズム魂の出現を求む!)

 誰かを悪者にして終わるのは良くないですし、それで納得する世論もどうなんでしょう。お母さん同士の会話の、「学校のせい」という短絡的な捉え方はどうなんでしょう。 
 そして、(履修問題しかり)その狭間の教育者が自殺したり、どう責任を取るかというのでは、解決に至る道筋とはずれている結果なのではないでしょうか。このようなパターンは一時期対策が加熱しますが、根本解決につながるかは疑問であります。もっと冷静じゃないと問題の視点がずれるのは往々にしてあるかと。

 以前、医療のお話で「患者、医師、行政、メディア」の4者の対話の必要性をCoSTEPで学びましたが、医療だけでなく、あらゆることに当てはまると思うわけです。
 
 
 さて、「いじめ」の定義もむずかしい。同じことばでも受け取り方や深さはひとりひとり違う。アレルギー反応に個性があるのと同様です。また人の一生を考えるに「いじめられたことがない」と言い切れる人がどれだけいるでしょうか?子どものころにいっさいのいじめをなくせたとしても、それで将来社会でやっていけるのでしょうか?いじめたり、いじめられたりがない社会に巣立っていくわけではないのです。どこかで「いじめ」もしくは「いじめに似た体験」に出会うのではないでしょうか?

 「いじめをなくす」これは簡単に口にしていいことなのか疑問だと思っています。それは戦争ゼロと言っているくらい空虚なことばに聞こえるからです。もちろんどちらも「減らす工夫」は当然し続けます。

 それより「死ぬな!」です。自殺という衝動に行かない予防ではないかと。(戦争という衝動もしかり)
 いじめられたら自殺するのが世の常などとこどもたちに思わせてはいけません! 「もしいじめられても死んではいけない。解決方法があるのだ」と教えることが急がれるほど、メディアの猛威に子ども達は巻き込まれていそうで怖いです。

 アンケートがどう活かされるのかわかりませんが、質問し終わって私がうちの子に言ったのは、

 「いじめるな!」「いじめられるな!」「死ぬな!」、「そして、もしそんな気持ちになったら、おなかが空いているのと同じだから“腹減った”と同じようにすぐ家族に言いなさい!」と。

 *「殺すな、殺されるな、死ぬな」と中学生になったら言うでしょうね

 いじめ、自殺も脳が引き起こす生理現象みたいなもの。その衝動の瞬間に理屈はあまりないと思うのです。そして、だれもがその衝動の経験が多少あるのでは?

 その「いじめたくなる、いじめられそう、死にたい」という衝動に自分も周りの人も気付き、その子に不足しているものを補う日常が大切なのではないかと。
 そんな衝動に負けないための「愛」とか「家族・友達」とか「知恵と工夫」とかを補われ続けて、今もここで生きているのだと自分のことを振り返って思うわけです。

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コメント

うちらの世代で,いまのはやり言葉でいう「いじめはふつうにあったし,教師がみて見ぬふりするというのもふつうにありました,少なくとも大阪では.
それをいまみたいに誰かのせいに祭り上げることはなかったし,もっと社会全体として問題適応力はありました.
親に聞いたら,表沙汰になってなかっただけで,もっとひどい例はむかしはざらにあったそうですよ.
いまかわいそうなのは,先生ががんじがらめにされていることやないですかね? 知人に先生業を営んでいる方は多少なりともいますが,むかしみたいに手をあげたらPTAがかみついてくるし,そのくせPTAはいろいろ言ってくるばかりで子供のことは野放しだし...といった本音トークはあちこちで聞きました.

K君「あーーいじめられてる気がする」んですか?!

くそ、俺のK君になんてことを!
てめ、こんにゃろ、どこのどいつよ!
許せん、ちびじゃりが!K君に謝れ!!


…いや、でも実際K君、一般の同級生と比べると超絶に物知りだから、個性的に映る面もあるかもしれませんね。
もともと全員から好かれる人間なんていないわけですし、彼の個性は裏返すと、才能豊かな証拠じゃないですか。

ははー。

K_Tachibanaさん、いつもコメントどうも。(」)閉じカッコがどこなのかなぁ~

ogagaさん、コメントどうも。
 えーーとですね、K君はいじめられてないのに「いじめられている気分」になってみたんです。そんなのが流行りのような気がしたんです。なので、どいつもこいつも存在してはいないのです。ご安心を。

 クラスの中では、細かく言えば上下関係とか得意不得意関係とかがあって、ケンカや言い合いもするんですよ。一人を見れば、ある子には強気で言うが、ある子には強気で言い負かされたりと、関係は入り組んでいるわけです。そんな風にぶつかり合い、人に揉まれて社会性が身についていくでしょ。
 このバランスが崩れ、ある子に集中すると「いじめ」ということになると思うわけです。そのあたりの見極めがないと、「あの子にいじめられている」と訴えかねないのですよ。来年国は23億円使って、カウンセラーを配置してヒアリングするそうです。予想するに「いじめられている」と言う子はすごい数が現れてくると思いますよ。一帯そんなことして何になるんでしょうか?一時的な調査で何がわかるんでしょう。別にやることあると思うのですが。

私・・・
たぶんイジメられ(いじられ?)っ子だと思いま~す!
でもイジメられたら、自ら手を下さず、どうやって相手に『最も嫌な想いをさせられるか!』を考えてワクワクしちゃう..+'(◕ฺ∀◕ฺ)..+*けどな。余計生き生きしちゃう~♪
(´0ノ`*)オーッホッホッホ!!

一番の仕返しはこっちが幸せになっちゃう事だと思うんです。人生負けちゃ駄目だ!!

M姫さま、ここ最近そうとう私にいじられてますよね。姫様はいじられキャラっていうかボケタイプを狙っているので、ついついツッコミ入れたくなるのです。これもコミュニケーションなんだけどね。
たぶん、同時にとっても愛されているから笑ってボケられるんじゃないかしら。そうとう愛されキャラだよね。
 そうですよ!姫、シアワセになってくださいよ!有言実行!

うちの子供たちもアンケート用紙を持ってきました。文科省は、これで一体何をしたいんだろう?そんな疑問を持ってしまいました。

kamimuraさま、そうですよね、へんにこどもに意識させるだけで、ほんとに困っている子のケアになると思えないんです。

>文科省は、これで一体何をしたいんだろう?
アンケートをとりました,という既成事実がほしいだけだと思います.
政策に影響をおよぼすくらいの組織をつくる気概がないと,陳情程度ではなにも変わらないということではないでしょうか.
今日,イノベーション25戦略会議の黒川座長と話す機会があって,そのことを痛感しました.

K_Tachibanaさま、通り一遍のアンケートなんて逆にやめてほしいって感じですよね。実態を数で見渡して政策がつくれたら政治はいらないですよ。ぷんぷん!

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