星の思いは招く
「息子は小学生のころから星が大好きだったの。それから科学実験とか言って、よく部屋でいろんなものを作っては私に見せてくれたんですよ。あんまり科学が好きなので、“つくば博”にも連れて行きました。でもその子は星になっちゃったんです。」
ナガオトシコさんは、今から22年前に当時18歳の息子マサミ君を交通事故で亡くされました。
「大学行きが決まった春休みにこれから一人暮らしするのだからお金のありがたみを学びなさいとアルバイトをさせたんです。その帰り道でした。アルバイトに行かせたことを悔やみました。」
「それからです。息子はどうしてあんなに星が好きだったんだろうって思い、私が星にのめり込んだのは。当時、弱っている私達の家業に同業社に付け入られまいと、ものすごくつっぱって仕事していました。だから星を見る時間はほっとできる時間でした」
そして、トシコさんは星好きが高じて、なんと自宅ビルの屋上に天文台を作ってしまった。今から10年ほど前である。夜になると息子さんに会いに行っていたのでしょう。
今日はその天文台にまつわる出会いのお話です。
《出会いのきっかけ》
先週の月曜日にCoSTEP応援団の例会に参加。終わりかけにCoSTEP同期生の天文家・ワタナベさんに「ナカムラさん(Salsaの別名)、天文台いらないかい?タダだよ」と声をかけられました。
「望遠鏡じゃなくて、天文台ですか???」
「あと7日で壊しちゃうんだよ。誰かもらってよ」
40センチのレンズ、3メートルのドーム付き、500万円相当のすごい代物だと聞き、ちょっとほしいと頭がよぎりましたが、うちでは使いこなせないなと思いました。大体、うちの屋上では三方をマンションとビルで囲われてますからもったいないのです。
それにタダとは言え、輸送費や設置に何十万もかかりますし、メンテも必要です。
この時点ではどういったご事情で手放されるのかわかっていなかったのですが、とにかくもったいない天文台の引き取り手を捜したいというワタナベさんの気持ちに応えたいと思いました。
そして、ひらめいたのが植松電機の植松専務。このブログではもう3回も植松専務語ブ録を書いていますので、ご存知の方もいると思いますが、北海道赤平市の町工場で、本業とは別にCAMUIロケットと共に宇宙開発しちゃってすごいことになっている植松さんです。(私にとっては、5号館のつぶやきブログさんが最初でした)
植松さんはいつか学校も作りたい、こども達が夢を持てるようなきっかけを作りたいとおっしゃっている方です。そんな植松さんと大平原で赤平の子たちが星を見ている風景を想像しました。
植松さんなら天文台を活用してくださるのではないかと思い、その夜すぐにメールを打ちました。前の週に講演会で名刺交換させていただいたぐらいの面識しかない私がこんなお願いしていいのかなと迷いつつも書きました。「天文台いりませんか?」と。
すると、翌朝「関心あります」とのお返事。(嬉)
さっそくワタナベさん、植松さんと電話やメールでのやり取りがはじまりました。そして、そこで初めて天文台の切ない事情を知りました。
天文台をつくったものの、ご夫妻は歳と共に活用できなくなると判断。ビルの看板を下ろす工事と一緒に下ろしてしまおうと決められたそうです。トシコさんはあわてて天文台の貰い手を探し始められました。いろいろあたられてふと思い出したのが、トシコさんがかつて行った白老町での「流星群を見る会」で知った天文家・ワタナベさん。
さっそく本で探してみたり、新聞社にも問い合わせてみたりして、最後に科学館でワタナベさんの連絡先を教えてもらい電話されたそうです。
《植松さんの意思》
事情を知った植松さんは「何の迷いも無くなりました。天文台をいただきます。そして大切に使います」とおっしゃってくださいました。
取り外しの工事まで日にちがないということで、急遽天文台を見に来ていただこうとなりました。ワタナベさん、ワタナベさんの天文仲間、植松さん、私と主人がナガオさん宅に集合したのは、メールを打ってから3日後でした。
実物は私が思っていたよりも立派で大きなものでした。ですがドームや望遠鏡をどう壊さないように解体して下ろすのか、古いOSでしか動かないソフトや仕様をどうするのか、いろいろ問題がありました。
ですが、植松さんは「すでにこどもたちが集まれるような工場を赤平に建ててあります。そこの屋根に載せましょう。」と意思ははっきりされていました。
そして、トシコさんに「たくさんの子供達に星を見てもらいます。大切に使います」とおっしゃっていました。
そのことばにトシコさんも「このご縁は息子がつなげてくれたものですね」と喜んでいらっしゃいました。
《願い》
自動車社会がもつ負の側面と、無免許などというモラルの無さが生んだ事故。このようなことが繰り返されないことを願っています。
生きていてこその夢。科学技術や医療が夢や命を奪うことがないよう監視する目と心を忘れないでいましょうね。
《天文台は赤平へ》
昨日、お父様のナガオさんから「無事、望遠鏡もドームも傷ひとつつけずに下ろすことができ、赤平へ行きました」とご連絡をいただきました。
今回のことは、CoSTEPの仲間を通して、道新にも取り上げられ、今朝の社会面に載りました。
今日、トシコさんにお電話をいただき、
「私ね、ほんとにうれしかったんです。心の豊かさをもらいました。星になっちゃった息子だけど、ワタナベさんや植松さんとの出会いをつくってくれたんだなって思いました。たくさんのこどもたちに星を見て欲しいわ。」
「昨日、つくば博に息子を連れて行った時の写真を見ていたら、ロケットと一緒に写っている写真があったんです。実は生きていたら植松さんと同じ歳なのよね。だぶっちゃって。。。ありがとう、ほんとうにありがとう」
私こそ、ありがとうございました。ワタナベさん、植松さんに科学技術コミュニケーターのひとつの姿を見せてもらいました。切ないけれどステキな出会いをありがとうございました。
そしてトシコさんに何度も「ありがとう」って言ってもらい、このことばに支えられながら、私はこれからもやっていくんだなと思いました。
赤平で“植松天文台”ができた暁には、トシコさんと赤平に行きましょうねと話しました。ワタナベさんには星の話してもらって。
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コメント
Salsaさん、ワタナベさん、植松さん・・・それぞれのお人柄を存分に発揮した素晴らしいドラマのようなエピソード。
こういう事もあるんですね、今後の赤平での展開も楽しみです。
投稿: リエゾンマン | 2006年7月 6日 (木) 10時33分
リエゾンマンさんがもともと私たちと植松さんを引き合わせてくれていたおかげです。
ここで出会った人たちはみなさん人と人とをつなげる「コミュニケーター」ですよね。もちろんリエゾンマンさんもですよ。
植松さんは快く天文台をもらってくださいましたが、資金や技術的な面でご負担をかけてしまっているのではないかと心配していました。でも、無事に赤平の地についたとしてほっとしています。実際にあの望遠鏡が星を捉えるまでにはまだご苦労が待っていると思います。今後ともご協力させていただきたいなって思ってます。
投稿: Salsa | 2006年7月 6日 (木) 11時48分
この天文台の上手な利活用提案を継続的に出来るかどうかも、科学技術コミュニケー他を名乗ってつないだ人の責任ですよ。
頑張って下さいね!!
投稿: ふなはし | 2006年7月 6日 (木) 15時29分
ふなはしさん、応援メッセージありがとうございます。
天文台をへそにして、植松さんの夢である北海道が元気になれるような活動をしたいですねぇ。
「頑張って下さいね!!」って、ふなはしさんも一緒にやってくださいよ。ねぇ、先輩!
投稿: Salsa | 2006年7月 6日 (木) 16時08分