心のしくみ、発掘調査の謎、歪曲されたギリシャ文学
昨日は「核融合」のお話。今日は文学研究科の月一回のインタビュー付き添いの日で、交換理論(社会学心理学)、北方人類史、ギリシャ古典文学のお話を聞いてきました。終わった後には「脳内時空の旅三昧」っていう感じでした。
やっぱり、一日で、御三人の先生のお話を聞くので、途中血糖値をあげないと続きません。(単におやつを食べるいいわけ?) 本日のおやつは森もとのマンゴープリン。おいしかったー!! って、そんな話じゃなくて!!!
もとい!
今日面白いと思ったお話を掻い摘んで。ほんとにちょびっとだけ。
ホモサピエンスとしての歴史の99パーセントは、「知っている人」で構成された小さな集団で暮らしていました。そのためヒトの「心のしくみ」が、現代のような多くの「知らない人」に囲まれて暮らすのには追いついていないというお話。そこへ持って来て、「会った事がないのに知っている人」なんてのも出てきちゃって、ヒトとしては異常な時代を向かえているわけです。
例えば、「知らない人」だらけの満員電車に乗るなんてことは、極最近(ホモサピエンスの歴史として)まで無かったことです。隣に知らない人が住んでいるとか、街を歩けば知らない人ばかり。「知らない人」だらけの大きな社会に適応できずにいる「心のしくみ」(遺伝的にも、伝承などによって育まれた後天的にも)とはどんなものなのか?
っていうお話とか。
先史時代、人類がどのように北方を渡って広がっていったのかを発掘調査しているが、石器や動物の骨は見つかるのに、肝心の人骨が見つからないというお話。地形などから、このあたりで暮らしが営まれていたであろうという察しがつき、そこからは石器は出てくるのだが、墓地の場所が現代人の感覚とずれているのか、非常に見つけ難いんだそうです。
見つかれば、Nature、Science級だそうです。聞いている私は、すっかりトレジャーハンターの気分。
っていうお話とか。
ギリシャの古典文学(悲劇、喜劇、詩など)が、ヨーロッパにおいて、紀元前3世紀からルネッサンスの時期まで書き写されていく過程で、思想によって歪曲されたというお話。ってことは、私の読んだ『イーリアス』って、ヨーロッパのフィルターが通ったものを単に翻訳したものだったってことになります。「ニセモノを掴まされたぜ」的な気分。
さて、そこで、欧米の「ギリシャを自分達の祖(パパ)と思いたがる癖」無しに、客観的な視点で読める日本人としての特質(?)を生かして、より原典に近いものを読み直すということをされているのだそうです。これって、日本人にとっての『古事記』、『日本書紀』の読み方にも当てはまるような気がします。
っていうお話とか。
初めて聞くけど、何かと重なる。バラバラだったものがつながる。平べったかった自分の世界感が立体的に起き上がっていく。そんな一日でございました。やーー、毎回楽しいでっす。ごくごく一部しかお伝えできないのがモドカシイ。
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